Jul 10, 2009
不穏な兆し
「リンクだけで処罰する規定の条文は、作らなかったのでないんです。だから、はっきりしないんですよ。捜査に抵抗する利益が少ないので、警察は、好きなように解釈して摘発できる可能性があります。今回の例も、単純所持を禁じる児童ポルノ禁止法改正の動きのタイミングを狙ったとしか思えませんね」
「児童ポルノ、リンクだけで摘発 警察の好きにできる懸念も - J-CASTニュース」より奥村徹弁護士談話
警鐘、大いに鳴りましたよ。
「言論の自由終了のお報せ」という警鐘が。
言論の自由どころか、自由な言論へのリンクさえ禁じられるわけですから。
「news - URLを掲示しただけで刑事犯? - 404 Blog Not Found」より
とうとうハイパーリンク自体が規制される日がやって来ました。ぽちは馬鹿親による児童虐待な児童ポルノには反対の立場ですけども、さすがにこれはやり過ぎです。ちょっとでもインターネットの技術に詳しければ問題点はいくらでも思いつきます。ここで一番問題なのは、インターネット環境を既存の法律が想定していないままに行った、警察の法解釈の恣意性です。「任せて下さい!警察がきっちり『運用』でなんとかします!」といっても、ここまでフリーハンドを与えるのはどうなの?と思わずにはいられません。情報発信手段としてのインターネットや Web は、その発信コストの安価さ、対象となる数の多さから、従来のマスメディアと違って意図的にコントロールするのは難しい媒体です。児童ポルノ関係の事は所詮都合の良い口実で、本当のところはネットでの自由な言論自体を明確な形で規制したいのではないかと勘繰りたくもなります。玉石混淆の開かれたバザールとしてのインターネットが日本で死ぬ日もそう遠くないのかも?
ちょうど昭和の治安維持法下で明治二十年代の自由な言論を保存しようと努めた宮武外骨について興味が出た矢先の出来事なので、正直なところ衝撃を隠せません。
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。
「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia」よりマルティン・ニーメラーの詩、Als die Nazis die Kommunisten holten の日本語訳
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